乃木坂46のエース白石麻衣を語るには、アイドルとしてスタートした彼女のキャリアを最低限の程度で辿る必要がある。
乃木坂はメンバーがツイッターを開設しているわけでもなく、ブログもオフィシャルサイトに統合されていてはっきりいって読みづらいし、では現代アイドルを支えるメディアは乃木坂にとって何かというと当然テレビである。
彼女のスタートから用意されていた『乃木坂ってどこ?』の最初を見れば、白石麻衣とはいかに「単なる美人」の特性があったのみであったか、が分かるだろう。そう、彼女は乃木坂のメンバーの中でも傑出して、この番組を通して自分の〈キャラ〉――この言葉には相当の注意を払わなければならない――を獲得したり、メンバーと共に歩んできた歴史の歩みの確かさを握りしめていった一人なのである。端的に「成長」と呼ぶにはあまりにドラスティック、ドラマティックなそれ。
白石麻衣が初めて専属雑誌の『Ray』の表紙を飾った時、特集のインタビューで彼女は当時の心情を赤裸々に吐露した。超有名雑誌の表紙を異例の速さで飾るといったその時にあっても、彼女はアイドルをはじめたころと変わらず不安を抱え、悩み、結果が出なかったらどうしようとくよくよする。それはまるで「普通の女の子」のようである。しかし、彼女は負けたことがないのだ、不思議にも。あまりにも不思議である。それは、彼女がどれほどの不安や苦悩を抱えつつも、常に前進するという想いで様々な仕事にチャレンジしていった、その結果に他ならない。
「単なる美人」、というか「ヘタレ」(彼女がプロ野球の始球式で二回も球をキャッチャーミットにつくまでに地にバウンドさせたことは各メディアでも大きく取り上げられた)というキャラも持っていた彼女が、強さを持っていた。でも、スイッチを切った彼女の様子は、どうやらとても気が抜けた分自由奔放で楽しそうである。
乃木坂のメンバーには恐ろしい逸材ばかりがいてただただうちふるえる(苦笑)ばかりだが、この白石麻衣ほど活き活きとした人間も他に類を見ないだろう。彼女の奥底には計り知れないレギュレーターがあるのだ。白石麻衣は常にトップの地平で、美貌と、優しさと、闘争心と、底抜けの明るさを発揮してこの狂った現代社会を表象する。
/みすてぃ
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