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アイドルから遠く離れて

アイドルと哲学。

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無題

ファンとアイドルの間の「絶対的な距離」、そしてアイドルの「不可侵性」は固定的なものなのだろうか。mistyさんの論考を読んで、そんな問いを立ててみたい誘惑にかられます。

AKB以降のアイドルは、アイドルになった直後から「絶対的な距離」を無化する運動に巻き込まれ、不可侵性は常に犯され続けるのではないか。境界は常に侵犯される。

1.それでもファンとアイドルの間には越えられない距離、不可侵性が残る。
2.あるいはファンとアイドルの距離がゼロになる(なったように見える)ときに、新たな超越性が生成される。
といったことを考えなければならないと感じてます。

無題

確かに。ごもっともです。

このへんを哲学的なバックグランドで語るとすれば、

神/人間/動物

といった存在論的区別によってそれぞれを分け隔てる考え方、その区別を取り払おうとするような芸術の動向、こういったことになろうかと思います。 僕のアイドル論は、「アイドルとは中世的な天使像の現代における復活ではないか」という直観を元にしているので、天使と人間とはある程度訳へだった所に居る、という前提にあります。

ステージにあがってよい/よくない


 私の論考は基本的にAKB以後を考えるものが多い。
AKBは、(現在でもそうだが)専用劇場を持つアイドルグループである。

 まぁそこからの乖離も目覚ましいわけだが…

とにかく劇場にはすべからくステージといったものが存在する。
 ステージには、通常、お客はあがってはいけない「神聖」な領域だとされるそうだ。
これは僕の実体験に基づく話でもある。
 お金を払っている立場でも守らなければならないのは、この神聖で不可侵のステージは、アイドルを志す者だけが上れる、ということだ。

 生身としてのアイドルを論ずるに十分な人はあまり数多くは無いし、そもそも難しいのだが、劇場型アイドルは、ステージにたつことで、ステージをお客さんの場所と分け隔てる事によって、本質的な空間が形成される。

そう、当たり前の事だが、ファンは同じ場所に立てないということ。どれだけ近くから見ようと、常に絶対的な距離がアイドルとの間に存在するということ。

この絶対的な距離に、アイドルという現象の謎はすべて含まれている。

やはり、ファンは信仰者に近いのかもしれない。 自論ではそうではないと言い切るのだが、今それを詳細に述べる事は出来ない。
 劇場型アイドルは、ステージの上にたつことによって、ひとつの絶対的な不可侵性を手に入れる。そのとき彼女たちは天使に近い存在となり、単なる見るー見られる、の関係から、光を放つ者、へなりゆく。

 その過程が面白くて、資本主義のシステムで回しているのが、現在の劇場型アイドルグループのなりたちである。


みすてぃ
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無題

ファンとアイドルの間の「絶対的な距離」、そしてアイドルの「不可侵性」は固定的なものなのだろうか。mistyさんの論考を読んで、そんな問いを立ててみたい誘惑にかられます。

AKB以降のアイドルは、アイドルになった直後から「絶対的な距離」を無化する運動に巻き込まれ、不可侵性は常に犯され続けるのではないか。境界は常に侵犯される。

1.それでもファンとアイドルの間には越えられない距離、不可侵性が残る。
2.あるいはファンとアイドルの距離がゼロになる(なったように見える)ときに、新たな超越性が生成される。
といったことを考えなければならないと感じてます。

無題

確かに。ごもっともです。

このへんを哲学的なバックグランドで語るとすれば、

神/人間/動物

といった存在論的区別によってそれぞれを分け隔てる考え方、その区別を取り払おうとするような芸術の動向、こういったことになろうかと思います。 僕のアイドル論は、「アイドルとは中世的な天使像の現代における復活ではないか」という直観を元にしているので、天使と人間とはある程度訳へだった所に居る、という前提にあります。