sunhelpさんの実況、プレイステーションの「ぼくのなつやすみ1」を、見終わった。大変いいゲームだった。
主人公のボクくん(名前は改変できるのかも)が、事情があって夏休み1カ月の間、自然豊かな親戚の家に居候する、というお話。
しかし「ぼくなつ」は、単に自然や休暇の楽しい思い出を作るというものには留まらない。そのメルクマールが、物語を貫いて要所要所に登場する、25年後の主人公の視点からの回想である。
この作品は回想抜きには面白みが増加しない――僕はそう思う。エンタメ性と物語性のどちらにも配慮したうえで、とくに物語性の強いゲームだったように感じられた。
その上で、こういったゲームをやる人が、同時に哲学者のアンリ・ベルクソンやジル・ドゥルーズ、文学のマルセル・プルーストなどの読書体験に開かれているかどうか、という点がとても気になるのだ。 「ぼくなつ」は楽しいーーそう思った自身の体験(経験)をさらに深化させられるような、根源にいたる経路は、ゲームと伝統的?教養との領域に、存在するか。
この問題に、僕は、ゲーム会社や映画側の人材が、積極的に、「この作品では主にこういった伝統的教養を踏襲しました」、と言って、教養を盛り上げるようにしていかなければならないと思う。なぜなら現代の人たちは本当に『モモ』に出てくる時間泥棒たちに動かされているように、ビジネス・マン(忙しい人)だから。 娯楽と捉えられたゲームと、重々しいと捉えられた教養との間に実は明確なつながりがある、と知った時、私たちはもっと文化的にも奥深い経験を得られるのではなかろうか。
みすてぃ
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